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『ガール』のボーイにくびったけ!



『ガール』

 たまにはこういう映画を観てボロクソにけなすのも悪くないか――というのは建前である。
 本音を言うと、吉瀬美智子目当てに観に行った。私はああいう綺麗な年上の女性が大好きなのだ!

 しかも『ガール』で吉瀬美智子が演じるキャラクターは、なんと年齢が一回りも下の男に一目惚れするのだ!
 もう一度言おう!

吉瀬美智子が!

年下の男に!

一目惚れ!

こりゃあもう観に行くしかねーぜ!!



 ってなわけで観てきたのだが、男子の私にとっては、いまひとつピンと来ない内容であった
「女の人生は、半分がピンクで半分がブルー(逆だっけ?)」とは、劇中で何度も主人公(香里菜)がモノローグ調で主張し続ける謎の名言なのだが、どうもこれに共感できない。
 確かに映画は四人のガール達のブルーな一面とピンクな一面を交互に映すかのような構成をしているのだが、それだけしかない印象が強い。
「もっと他になんかねぇの?」と言いたくなるほど、全体的に物足りない。ストーリーに必要な部分だけを抽出したのはいいが、それ故に描かれた世界が狭いのかもしれない。

 その分、編集の仕方は中々上手。四人のドラマを短い間隔で次々と入れ替えはするものの、混乱はない。切れ目が丁度良すぎて、観客側の想像に委ねすぎなところはご都合主義っぽくもある。だがそれは些細なことで、時に痛々しい行動に出るガール達は、見ていて飽きない。辛うじて。


 さて、本命の吉瀬美智子のエピソードについて話そう。
 …………と、思ったのだが、話は上に書いた大文字3行分で書ききってしまった。
 なので、ここからは吉瀬美智子は何故私のハートを掴んだのかを話そうと思う。
 『ガール』では、結婚やら何やらほとんど諦めモードに入った34歳の仕事に生きる女性を演じている。CMでもおなじみのアリナミンをガブ飲みする姿や、風呂上りにマッサージチェアに座ってビール片手にテレビを眺める姿は、いい意味でイメージをぶち壊してくれている。
 そして新しく入社してきた年下の男(林遣都←ガッデム!羨ましいぜ!)に一目惚れ。
 時折彼女の妄想が描かれるのだが、それが痛々しくもあり、どこか可愛らしい(贔屓目)。
 彼女は、まだ恋する自分を諦めきれていなかったのだ。ほんの些細なことで、とてつもなく悲しんだり、飛び跳ねるぐらい喜んだりする。今時アニメにもこんな恋する女の子キャラいねぇよ……と言いたくなるだろうが、吉瀬美智子なら許されるのだ! とっても可愛かったぞ!


 というわけで、追記では他のキャラクターのエピソードについて……ではなく男性陣について話そうと思う

 と言うより、私が何故『ガール』のレビューをブログ記事にしたのか。
 それは吉瀬美智子が可愛いことを伝えるためだけではなく、この映画の影の主役とも言える上地雄輔について語りたかったからなのだ!

この映画の上地雄輔は凄いぞ!

 気になる方は追記をどーぞ! ネタバレはナッシングでーす。


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『ダーク・シャドウ』の家族、邪道!



『ダーク・シャドウ』

 あらすじぃっ!
 その昔、バーナバス・コリンズは屋敷でメイドとして働くアンジェリークからの愛の告白を受け入れなかった……。
 やがてバーナバスは最愛の人と出会うのだが、二人の恋愛はアンジェリークの黒魔術によって引き裂かれてしまう。
 なんとアンジェリークは魔女だったのだ!
 そしてバーナバスは恋人を失い、自分はヴァンパイアにされてしまう。そして、魔女の謀略によって棺桶に閉じ込められ、地中に埋められてしまう。
 時は流れて1972年。およそ200年の時を経て、バーナバスの入った棺桶はマクドナルド建設のための工事によって発掘される。
 我が家へと帰ってきたバーナバス(吸血鬼)を迎えたのは、遠縁にあたるコリンズ一家(とお手伝いとヘレナ・ボナム=カーター)。
 家業であった水産業は、アンジェリークが指揮を取る別の会社に掌握されている……バーナバスは、かつての栄華を失ったコリンズ一家の建て直しを計るのであった!
 一方、バーナバスの来訪の直前――屋敷には、彼の愛した女性と瓜二つの見た目を持つ家庭教師もやって来ていたのである……。


どこまでもティム・バートンな映画である。

 約200年という史上最大の時差ボケ(違)を起こしているバーナバスを演じるのは、ティム・バートンの友達ジョニー・デップ。
 その時差ボケっぷりときたら、アスファルトの道路に一々驚く始末。アスファルトを叩いて渡る吸血鬼なんて初めて見たよ……。
 知識も性格も言葉遣いも、全てが時代遅れ。下手に芝居がかった愛のセリフを、現代っ子のクロエ・グレース・モレッツが一蹴。他にも様々な人物が一蹴。娘は父親に金か羊を渡せば手に入るとか、1972年であっても犯罪スレスレの行為である。

 そんなバーナバスは、意外にも家族思い。突然の彼の来訪に警戒する、屋敷の女主人(ミシェル・ファイファー)をアッサリと懐柔して、同時に家族は襲わないことを誓う。なんてイイ奴なんだバーナバス・コリンズ! でも赤の他人はフツーに襲う!
 血は水よりも濃いとか言う以前に、お前には血も涙もないのかよ! なんて閉鎖的で内輪的なんだバーナバス・コリンズ!
 ……いつもとブログでのテンションが違うのは、多分酒に酔っているせいだ。


 観る前までは「この映画は一体どんな話なんだ……?」とか思っていた。
 テーマは意外にも家族の再建。屋敷に住む者達のハリボテな関係性に、時代遅れの吸血鬼がメスを入れる! イラネー奴は追い出す精神の下、バーナバスは家族として失格だと思った奴を容赦なく切り捨てる。やっぱり血も涙もねぇよコイツ!
 そんなスポ根ドラマに出てきそうな鬼コーチみたいな仕打ちの末に、果たして家族は成り立つのだろうか? そもそも本当の家族って何?

 ティム・バートン作品ではお馴染みの異形に対する愛情もたっぷりと描かれ――なかった!

 もう一度言おう。この映画に、異形に対する愛情は描かれていない!

 いやたぶん描かれているんだろうけど、監督による愛情表現は、『ダーク・シャドウ』では不思議なほどにストイックなのだ。
 それは何故か。
 家族を愛し、最愛の女性に瓜二つの人物に思いを寄せるバーナバス。彼は吸血鬼なので勿論異形。顔は真っ白で犬歯はニョキッとしている。おまけに髪型が絶望的にダサい
 彼に対する、優しい眼差しは劇中でも非常に顕著に描かれている。

 だが、同じく異形の魔女アンジェリークに対してはそうでもなかったりする
 クライマックスで、バーナバスがアンジェリークに告げるそれまでのバートン映画ならば絶対に言わなかったであろうセリフには、バートンファンほど驚き、そして突き放されるだろう。
 バートンの優しさ具合といったら、『バットマン・リターンズ』のペンギンにですら注がれていたというのに……。
 何故、アンジェリークはバートンに突き放されたのだろうか? その答も、バーナバスのセリフでちゃーんとわかるようになっている。
 これはつまり「さすがのオレ(バートン)でもこんな奴には構ってられねえぜ!」ということなのだろうか……それとも「これからはちょくちょくキャラクターに冷たい態度を取るぜぇ」なのか、そればっかりはどうにもわからない(映画の内容とは関係ないので正直どーでもいい)


 さて、追記も同じノリでビシバシ行きたいのだが、少しくらいはマジメに書こうと思う。
 ネタバレはナッシングで、コリンズ一家の奇妙な共通性について論じようかなあ、どうしようかなあ!


 

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『ブラインドネス』で探し物

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『ブラインドネス』

 ある日、一人の海外在住の日本人男性(伊勢谷友介)が突然視力を失った。視界が真っ白になってしまったという。
 その事件を境に、世界中で視力を失う者が続出。感染のおそれがあることから政府は、失明者を狭い施設に監禁することを決定した。
 しかし、医者である夫(マーク・ラファロ)が盲目になったというのに、妻(ジュリアン・ムーア)だけは盲目にならなかった。彼女は、施設へと搬送される夫についていくため、盲目になったと偽り同行する……。


 世界中の人々が相次いで失明するという、世にも恐ろしい(誰かが考えそうな)設定で送るパニック・スリラー映画だ。
 洋画ではあるものの、監督の意向なのか日本人キャストとして伊勢谷友介と木村佳乃が出演している。世界中というスケールを、監禁された施設の中で再現するためだろう。黒人やスペイン系など、様々な国籍の者達がその施設での生活を余儀なくされている。

 施設と言うにはあまりにもお粗末な、大部屋にベッドが並んだだけの空間。外出は許可されず、食料は毎日送られてくる質素なもの。水道も整備されておらず、お湯は出ない。
 外の事情を知ることもできず、閉鎖的な空間で視力を失った者たちの生き様を、序盤は淡々と描いていく。

 一人だけ失明しない女性、ジュリアン・ムーアは夫以外にはその事実を隠している。
 まるで、彼女の瞳そのものがカメラであるかのように、その失明者たちの世界をみせてくれる。
 徐々に壊れていく精神、秩序と道徳は失われていき、次第に格差が生まれていく。
 その光景は壮絶。ちょいとパンチが足りないような気もするが、凶暴化していく以外にも様々な方向へと転がっていく人々も描かれていて、不気味なほどリアルだ。
 特に、夫の発言がゾッとする。
 唯一目が見える自分の妻に対して「まるで介護者か母親のようだ」と。不安と怒りとやりきれなさの混じったこのセリフに、私は縮み上がる思いがした。

 更には、妻の「唯一目が見える者」という状況が、次第に彼女まで狂わせていく。介護者? 母親? 神? マイノリティ?

『ブラインドネス』の素晴らしいところは、失明していく者達の様子と世界を映像化したことにある
 何が言いたいのかというと、つまりは映像表現が巧みなのだ。
 真っ白な画面から、徐々に人が彷徨う様子が浮かび上がっていき――ガタン!と何かにぶつかる。映像は急に鮮明に、施設内の廊下を映し出す。突然失明した者にとって。世界はぶつかってみるまで真っ白なのだ。

 こうしたパッと見ればわかる演出のほかにも、見せるべきシーン見えないシーンの分け方が非常に上手い。要するに映像に一切無駄がない
 必要以上にぼかされたシーンは、音と声によって我々に想像を喚起させる。正確な描写など要らない。劇中の登場人物ですら、その様子は全く知れないのだから。


 後半になっても、物語はまだまだ広がり続ける。
 クライマックスに向けての展開で、幾つか取り上げたい描写があるので、それを追記で紹介しようと思う。
 なお、ネタバレにするつもりはないのでご安心を。


 

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インドの『ロボット』にデカルチャー!



ロボット

 私が映画秘宝で当映画の記事を見かけたのが、恐らく2年前。『トロール・ハンター』とほぼ同じころだったはずだ。
 そして今、ようやくインド映画界史上最高の予算と興行成績を内包した映画『ロボット』が公開された。

 あらすじはこんな感じ。

 発明家である主人公は、恋人にかける時間も惜しんで究極の人型ロボットの開発に勤しんでいた。
 そして完成した主人公そっくりのロボット――チッティは、その驚くべきスペックで一躍脚光を浴びる。
 主人公はチッティを軍事目的で使っていただこうと考えたが、それを阻止したのは主人公の恩師ボラ教授であった……。
 主人公は対抗して、チッティに人間の感情を理解できるような改造を施す。しかしそれは、チッティに『恋』といい感情をも芽生えさせてしまうのであった。そしてその対象は、主人公の恋人であった……


 正直、あらすじなんてどーでもいい。

 『ロボット』はストーリーだけを追うなら、山ほどあるアンドロイドもののSFと比べて目立った点はない。
 そこにはインドらしさとも言える展開や価値観みたいなものも垣間見えるのだが、それは後述することにする。

 とにかく『ロボット』の特筆すべきポイントは、ド派手なアクション唐突に挿入される歌と踊りである。

 まずアクション。
 チッティはロボットだと言うのに人間以上の身のこなしで、巧みにブルース・リーを凌ぐカンフーアクションを披露する。しかも電車の中で
 車がクラッシュしまくりのカーチェイスも見所。一体どんな原理で車が飛んでるのかさっぱりわからないが、とりあえず全てチッティの成せる技である
 極めつけはラストのVFX満載でおくるスーパー組体操なのだが、ここを語ってしまうのはあまりにも勿体無いので是非劇場で。お前らそんな練習してたのかよ! とツッコミたくなること必至。

 そして、歌と踊りである。
 日本公開版の『ロボット』は、編集により40分近くの映像がカットされているが、歌と踊りはちゃんと二回ほど挿入される。(もう二回分はカットされている。無念)
 急にミュージカルっぽいノリになるのだが、無論意味が無いわけではない。ちゃんとメインダンサーのチッティの心情を歌い上げた歌詞と、情熱的なロボットダンスを披露してくれる。
 しかし、わざわざ歌と踊りで表現する必要はないと言ってもいい。
 劇中で最初に歌と踊りが挿入されるシーンは、チッティが主人公の恋人にお礼のキスを受け、恋愛感情が芽生えてしまう時だ。
 キスをされた瞬間、チッティの顔は(サングラス越しだが)幸せすぎる笑顔へと変わり、室内なのに何故か風を受けて爽やか度をアップさせる
 それだけでもう十分すぎるほどに「チッティに恋心が芽生えた」という演出は出来ているはずなのに、その後歌と踊りに突入し補足説明に入る。一体チッティはヒロインのどこに惚れたのか、ヒロインをどうしたいのかを、情熱的に歌い上げるのだ。
 …………いやそこまでしなくていいのに!

 だがそこまでする。
「これがインドだ」と言わんばかりの、抜かりのない愛の描写の数々。そのせいか、細かいところは全く気にしない。蚊達はあの後どーなったんだよw

 正直なところ、言葉では語りつくせぬ映画なのでさっさと劇場に足を運んで欲しい限り。
 公式サイトでは『完全版』上映のために我々観客も力を貸せるキャンペーンを行っているので、観る前でも観た後でもいいからボタンをとにかく連打すべし。


 最後に、インドの価値観についてだが、あまり語りすぎるとラストの展開などにまで言及してしまいそう。
 とにかく、彼らの深い信仰心が滲み出ているシーンが幾つもある。「おや?」と思ったら、多分そこがインドならではのオリジナリティーだ。
 特に最後はデカルチャーとでも言うべき衝撃の結末。
 ハリウッドだって金をかければ似たようなものが作れるのか?
 そんなはずはない。
 『ロボット』は、インドにしか作れない最高のSFロボットカンフー&カー&VFXアクションラブロマンス時々ミュージカルムービーなのだ!

 今回は追記ナシ。
 補足や余計な説明など、この映画の前では無意味だ。観ればわかる。これほど純粋なエンタテインメントは他にない。
 秋には同監督&主演(スーパースター:ラジニカーント)の前作も公開されるとか。今から楽しみでしょうがない!

『運命のボタン』に映る人間そのもの

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『運命のボタン』


初めに言っておくと、この映画は「生命の重さ」を考えるとか、「あなたならどうする?」とか、そうしたありきたりなことを描いた作品ではない。


 出来れば、リンク先のAmazonのレビューには騙されずにこの映画を観て欲しい。
 私はわりと本気でこの映画をオススメする。


『ボタンを押せば100万ドル、ただし見知らぬ誰かが死ぬ。猶予は24時間』
 子供にも恵まれ、慎ましくも幸せな生活を送っていた家族の元に、ある日謎の届け物が。
 正方形の小包の中には、奇妙な箱型のボタン。そして、午後5時にスチュアードという人物がやってくるということが書かれた手紙。
 その日、共働きの夫婦はそれぞれの職場で、金銭的問題が立ちはだかる事態に見舞われてしまう。
 そして午後5時、家にいた妻が出迎えたスチュアードから告げられたのは、ボタンに関する説明だった……。



 予告編(ここには貼ってないけど)では、「あなたは押す? 押さない?」などと観ている側への執拗な質問が繰り返される。
 しかし、前述の通りこの映画は「あなたならどうする?」という問いかけをしたいわけではない。何故なら、実際にこんな出来事はありえないからだ。
 詳しくは後述するが、本当にこの映画はありえないのだ

 つまるところ、そのありえない状況に置かれた夫婦が、最終的にどういう選択を下すのか。
 それを我々観客に見せることで、伝えたいことがあるのだ。
 その状況とは、単にボタンを押すか押さないかの問題だけではないのだが、これ以上はネタバレになるのであまり多くは語れない。


 ただ一つ気をつけて欲しいのが、この映画のストーリーは途中でとんでもない方向へとシフトするということ。
 もはやオカルトの領域に達しており、予告編からは想像もつかない展開を見せる。

 さて、そうまでしてありえない状況を作るこの映画は、一体何を伝えたかったのだろうか。
 夫婦の置かれた立場こそ荒唐無稽だが、その実これに似た瞬間というものは、私たちの日常に広く存在するものではなかろうか。

 劇中でも、ある人物が利他主義という言葉を用いている。
 自己の利益を犠牲にし、他人の利益を優先する考え方だ。
 『運命のボタン』の場合、その自己の利益が100万ドルという大金であり、他人の利益は生きることそのものということになる。壮大な喩えだが、その意味を一番理解しやすい例とも言えよう。

 身近なことに言い換えれば、電車内で座席を譲ること、寒がっている恋人に上着を貸してやること(いつかやってみたい)、大学の授業で友人の出席表を代筆してやることなど。
 自分の体力や時間を犠牲にして、他者に利益を与えたり、その利益を守る行為は現実世界でも有り触れている。

 利他主義は美しい。端から見ても「あの人親切だな」「お前よくやるよ」と思うことには違いない。
 だが、『運命のボタン』はそうした見解にはとどまらない。だってそれを伝えたいのなら、そういった身近な例を挙げれば済んでしまうからだ。

 では何故か。
 それは恐らく、観客を神の視点の位置に据えたかったからだと私は思う。
 いや、観客はいつだってそういう視点にいるじゃん! と思うかもしれないが、それでは「登場人物への感情移入」の説明が出来なくなってしまう。
 そう、この映画は観ている側の感情移入など、全くさせるつもりがないのだ。映画全体が、ボタンを手にしてしまい困惑する夫婦に対し、共感できないような作りになっている。

 神の視点、それは即ちこの映画を製作した者達の視点だ。
 つまり、何らかの意図を持ってこの映画を作った監督その他と同じ立場から、この映画を観ろと言うことである。
 それは一体どういうことなのか、詳しくは追記にて。


 

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新郎新婦、初の共同作業は『REC/レック3 ジェネシス』!



『REC/レック3 ジェネシス』


 言わずと知れたスペインホラー『●REC』シリーズ最新作。
 今回は前作、前々作と時間軸は同じで、別の場所を舞台に恐怖の感染者パニックが行われる。


 あらすじはこんな感じ。
 そこは結婚式場。新郎コルトと、新婦クララは幸せの絶頂にあった。
 式を終え、招待客ともども披露宴開場へと移動。ケーキへの入刀、派手なダンスパーティー。誰もが熱狂し、二人を祝福していた。
 そんな様子をカメラに収めていた新郎コルドの従弟アドリアンと、プロカメラマンのアトゥンは、皆が開場ではしゃぐ中、外で休憩を取っていた。
 そこで見かけたのは、シリーズおなじみの黄色い防護服とガスマスクをつけた謎の人物だったが、彼らは害虫駆除の者達だと勘違いしてしまう。
 そいつらの登場が、まもなく始まる惨劇の予兆だとも気づかずに……


 それにしても、RECシリーズは素晴らしい映画だ
 あの手この手で観客を怖がらせる手法は、今回も健在。期待以上でも以下でもないというのが本音だが、シリーズ作品にありがちな失速感はゼロ。
 今回も上映時間は短く、おかげで中だるみもしないスピーディでスリリングな展開が楽しめる。

 シリーズファンとして注目したいのは、やはり最初の感染者の感染理由だ。一体その人物は何処で感染してしまったのか……まあ序盤からケロッと言ってしまうので隠す必要もないのだが、あえて言わない。
 そして、感染者達の特徴もその一つ。『REC2』を観た方ならご存知の通り、彼らは神聖なモノに弱そうであった。
 感染者達は教会に入れないし、どうやら聖水も弱点らしい。式場ということもあり、神父様も登場するのだが、彼のある行動は、ラストの大きな伏線になっている。

 そうだ、『REC』シリーズは伏線の張り方が非常に上手い。2を観ると、1のラストシーンは丸ごと伏線になっているのがわかる。
 『REC3』では序盤にあからさまな伏線を張っておいて、その裏に隠れた伏線も張っている。
「ああ、こいつから感染が始まるんだな」と思わせておいて、終盤は「うわーあのシーンはこのためのものだったのか!」と唸らされること必至。
 冒頭15分しかないP.O.Vによるシーンは、まさに伏線のオンパレード。

 そして、P.O.Vが終わった後に表れるタイトルロール。
「あれ、P.O.Vはこれで終わり?」と思うかもしれないが、「『REC3』は今までとは違う。ここからが本番だ」という、製作側からのメッセージとしても受け取れる。
 また、既に『REC』の感染が、小さなカメラに映る規模ではなくなっているという暗示にもなっている。
 『REC3』は、今までのシリーズの面白味がP.O.Vだけではなかったのだと思い知らせてくれる、極上のホラー映画だ。公開から333日間は誰でも1000円! これは安すぎる。


 追記では、監督自身が言っていたこの映画のテーマ『愛』について少々。
 別に私の恋愛観を語るわけではなく、あくまでネタバレしない程度に作品のテーマを掘り下げるだけなので安心していただきたい。
 にしても、花嫁役の女優は、監督の実の奥さんらしい。細身で美人。いいなあ。


 

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『ベルフラワー』の理想と現実



『ベルフラワー』

 なんと、今回も試写会で一足先に鑑賞してきた作品のレビューである。
 本作品は6月16日よりシアターN渋谷での上映を皮切りに、全国順次公開予定のインディペンデント映画だ。

 監督は、主演と脚本と製作と編集と車の改造撮影機材の改造を担当している。
 それだけでもう、とんでもない低予算映画であることがおわかりいただけるだろうか?

 あらすじはこんな感じ。
 映画『マッドマックス2』の敵役ヒューマンガス様に心酔し、いつか世紀末の世界がやってくることを信じている男ウッドローとその友人エイデン。
 彼らは仕事もせずに、来るべき世紀末のために日夜火炎放射器の製作と改造に明け暮れていた。
 そんなある日、ウッドローはバーで知り合ったミリーという女性と恋に落ちる。だが、彼女は童貞ウッドローの決死の告白にも曖昧な返事しかしないのであった。
 そして、いつになく不貞腐れているエイデンに約束(?)をすっぽかされ、帰宅した彼が目にしたミリーの揺れるおっぱい。揺らしているのは……


 凄いのは、この映画を作るキッカケとなった出来事は監督本人の失恋ということである。「そんなさー、自分の失恋経験を映画にするとかさー」←とか思ってこの映画を観ると、あまりの絶望感に嘲笑を通り越してドン引きすることだろう。
 それほどまでにこの主人公の抱える絶望は果てしなく描かれ、尚且つ性質が悪い
 本当に劇中同様にまで落ち込んだというのなら、ただの害悪だ。しかし悔しいことに、監督はなかなかのイケメンであった。でもほのかに漂う童貞臭が見事にルックスを相殺している。


 だが、この映画は監督自身の失恋を、絶望を、そのまま映画にぶつけた内容ではない。
 劇中で主人公が失恋した後、こんなセリフを吐露する。

「腹立たしいのに、誰にもぶつけられない」

 失恋とその絶望は、誰にもぶつけられない。かといって、映画にぶつけられるわけでもない。
 『ベルフラワー』は、監督と同じ(もしくは似た)経験をした主人公を見事に描ききった、立派な青春映画だ。自伝的な面もあるが、作品として完璧に昇華されていると言っていいだろう。

 追記では、全然話してない内容についてネタバレしない程度にちょこっと。
 そして、『ベルフラワー』における影の主役である改造車MEDUSAも、避けては通れない話題だ。


 

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『私が、生きる肌』の中(外)で見出したもの



私が、生きる肌

 一足先に試写会で鑑賞したので、今回はアキバレンジャー以来の先取りレビュー。
 前回記事にした『トーク・トゥ・ハー』を観たのは、何を隠そうこのためだったのだ!
 というわけで簡単なあらすじをば。

 天才形成外科医のロベルは、過去に自動車事故で妻を亡くしている。それは彼の中でいつまでも消えることのない傷だ。
 彼は完璧な人工皮膚作りに没頭し、ついにそれを完成させた。そして、拉致監禁していたとある人物を実験台にし、亡き妻そっくりの見た目に作り変えるのであった……。


 『トーク・トゥ・ハー』を観ても思ったが、ペドロ・アルモドバル監督作の主人公は端から見れば基本的に変態だ。
 今回の主役ロベルを演じたアントニオ・バンデラスも、その変態のカテゴリにピッタリと収まっている。

 人を攫って監禁して勝手に全身の皮膚を人工皮膚にして亡き妻とそっくりの見た目に仕立て上げて、そのまま監禁続行である。
 そして時折監禁部屋の中に入ってきては「アヘン吸うか?」とニコニコしながら問いかける。
 あの最強のマリアッチの面影など何処にもない、スクリーンには白髪混じりの変態オヤジしかいない……。

 さて、いつまでも変態について言及してもしょうがないので、そろそろ物語に対しての感想に移ろうと思う。

 この映画は、監禁されたベラと言う女性の正体が謎のまま進行する、ミステリ仕掛けのストーリー展開を行う。
 ベラの正体は一体誰なのか? ロベルの過去に一体何があったのか?
 『トーク・トゥ・ハー』同様に、非常にスリリングなストーリーテリングで観客を飽きさせない。劇中に何度も挿入される変態の所業もあり、二時間はあっという間にすぎてしまった。
 変に小難しい内容ではない、生粋のエンタテインメントとして十二分に楽しめる作品に仕上がっている。


 変態キャラの暴走と、ゾッとするオチを持ったミステリ要素。
 この二つを、見事な脚本で纏め上げた『私が、生きる肌』には、あるテーマが存在するように思えた。
 追記ではネタバレを迂回しつつ、本作品のテーマについて深く掘り下げて行くことにする。
 あくまで知っておくと、映画を観た時により深く楽しめるであろう内容を記載するので、安心して続きをぽちっと、お願いします。
 ついでに拍手やコメント、ブログ左上のランキングバナーをクリックしていただけると励みになりますです。


 

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『トーク・トゥ・ハー』は孤独か、愛か

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『トーク・トゥ・ハー』

 ペドロ・アルモバドル監督作品。
 あらすじは簡単。
 交通事故に遭い、四年間昏睡状態の女性アリシア。病院で彼女を、ほとんどつきっきりで介護する男ベニグノ。
 彼はアリシアが昏睡状態にあるにも拘わらず、介護の最中にも言葉をかけ続けていた。
 ベニグノは彼女を愛してはいるが、その愛に彼女が答えることはない――。


 ……と、こういう風に書けば「なんて献身的で純粋な愛情を持った主人公なんだろう」と思うかもしれない。
 だが、劇中のベニグノはそんな男ではない。
 まずイケメンじゃないし、おまけに童貞だ。どことなく顔もオタク臭い。
 更には子供の頃から母の介護に徹していたため、生粋のコミュ障である。
 介護の腕は立つし、エステや美容に関する知識や技術も持ち合わせているけど、それらも全て通信教育で得たモノでしかない。
 『トーク・トゥ・ハー』は、そんな主人公ベニグノが昏睡状態の女性に捧ぐ一方的な愛の物語である。
 その偏執的で痛々しい"一人芝居"は、純粋さを通り越して変態の域に達している。これは気持ち悪い。
 しかし、映画はそんなベニグノの愛情を、そうした気持ちの悪いものとして描こうとしているわけではない。

 劇中には、もう一人の主人公とも言えるべき人物が登場する。
 それは記者でありライターのマルコという男と、女性闘牛士のリディアという二人組だ。
 彼らの会話シーンに、こんな感じのやりとりがある(セリフは完璧ではないので、意訳という体で)。

「マルコ、今日の闘牛が終わったら話があるの」
「今話してるじゃないか」
「あなたが一方的にね」


 要するに、会話とは互いに、一方的に言葉を掛け合うことだと示している。
 確かに言われてみれば、別々の話題を言い合う会話なんて聞いたことがない。
 だとすれば、ベニグノが昏睡しているアリシアに語りかけることも、立派な会話だ。我々が普段誰かとする会話と、何ら差はない。
 そうしたことを、映画は暗に我々に伝えている。


 だが、それだけで終わるほど、この映画は綺麗なものではない。
 ネタバレは避けるが、追記ではもう少しだけ深いところに入ってみるとする。そう、深いところへ……。


 

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『ゾンビ・へッズ』は進むしかない!



『ゾンビ・へッズ 死にぞこないの青い春』

 とある田舎で何故かゾンビとなって目が覚めた主人公。
 徐々に記憶を思い出していくにつれ、「そういえば恋人にプロポーズするんだった!」と気づく。
 ゾンビだけど喋れるし、ハンバーガーだって食える。そんな主人公マイクは、その場で知り合った同じ境遇のブレントと共に恋人に会うために旅に出るのであった!


 なかなか奇妙な設定の主人公(とその連れ)である。
 顔色が悪く、体も腐って(?)いるし、腕も捥げる。でも言葉は喋れるし、ご飯も食えるし、ほぼ人間といっても差支えがない。
 その設定が、後々のシーンを大いに盛り上げてくれるのだが、まずは前半だ。

 とにかくギャグ。前半は笑えと言わんばかりのネタの応酬。
 お約束とも言えるバーでの篭城戦に巻き込まれた半ゾンビの主人公達が、人間のフリをするのが非常に滑稽で愉快。
 終いには人間と偽り老人の乗った軽トラをヒッチハイク。老人は彼らを人間だと信じて疑わない。
 しかし、この老人との絡みは、ただの温床に過ぎない。
 彼らが、自分自身をゾンビであるということを忘れていられたのは、この時だけなのだ……。


 コメディー要素は他にも多数存在する。
 例えば凸凹コンビのゾンビ・ハンターであったり、ブレントが「芸を仕込む」と無理矢理同行させたリアルゾンビ(名前はチーズ)だったり。
 のっけから主人公達はゾンビ・ハンターに追われっぱなしなのだが、ミョーに緊張感の抜けた気楽な追いかけっこといった印象。
 まさか、こんな楽しい映画があんなに切なくなるなんて……

 一つの別れから始まり、主人公達の旅は徐々に現実へと近づいていく。
 それは「恋人にプロポーズする」という夢が、悪い意味で現実味を帯びていくと言うことだ。
 後半は、涙なしには観られないシーンの連続。
 追記ではネタバレを厳に控えつつ、この映画の素晴らしさを伝えようと思う。


 

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饂飩粉

Author:饂飩粉
 映画が大好きな大学生。実は特撮やアメコミなんかも好き。
 ブログは常に観た映画の中から印象深かった作品に絞って書いていくつもりです

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